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ice99

僕にとってのアメリカの生活

僕がアメリカに憧れを抱いたのは中学二年のころ。近所の医学生が開いている週に一度の
学習塾に通っている時だった。まぁ塾といっても先生はその大学生一人で、自宅の二階で
僕を含めた男女4人がそれぞれ自分の宿題を持ち寄って面倒を見てもらうというものだった。
その先生はアメリカに交換留学生として暮らした時の話を、勉強の合間に僕らによくしてくれた。
結局僕は、先生の行った進学校がかすんで見えるような工業高校へ進学した。交換留学が無理でもいつかは
どんなことをしてもアメリカで生計を立てる。今思えば当時の僕の中二病はかなり重篤であった。
2003年に念願の駐在員としてアメリカ転勤になり、中西部のど真ん中のカンサスシティーへ赴任。
Officeでは日本人というか僕以外はすべて白人の中での仕事。これぞアメリカ。
人々は親切だし、差別とかは感じたことはなかった。ただ、やっぱりきつかったのは食事。
内陸の地なので伝統的に魚介類を食べる文化がなく、魚といえばキャットフィッシュ(なまず)くらい。
車で40分の中華系スーパーの生け簀で売ってるティラピアが我が家の
ごちそうだった。シカゴのような大都会に行けば日系スーパーがあり、一年に二回は
車で10時間運転して二泊三日で日本食材買い出し旅行も楽しみなイベントだった。
家にはもれなくでかい庭がついてて、芝刈りやスプリンクラーの水やりなど
庭の手入れで夏場の週末は忙殺されてしまう。出張などで二週間も芝刈りしないと
ぼうぼうに伸びてしまう。一度やりたかった芝刈りでミステリーサークルを作ってみたら
ご近所に大うけだった。中西部はバイブルベルトといわれ、日曜の朝に家にいるのは
我が家くらい。隣近所はみんな教会に行ってしーんとしてるのがいつもの朝の光景。
冬はカナダからの冷たい空気が流れてきて氷点下20度くらいまでさがるし、雪も降るが、
山がないのでスキーなどのウィンタースポーツが出来ない。本当にただ寒いだけで、春が待ち遠しかった。
カンザスシティーでの生活は三年間。リアルなアメリカの生活だった。
リーマンショック前夜に再びロサンゼルスへ転勤になり、その8年後日本の会社を辞めて
グリーンカードを取り、アメリカで再就職をした。
ずいぶん遠回りをしたけど、なんとか中二病の夢は果たせたかなと思っている。

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最終更新日:2016-08-16 13:29

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